「ラプラスの悪魔」という概念があります。
「ラプラスの悪魔」は現時点での宇宙のすべての物質の位置や運動速度を知り、すべての物理法則を計算できる存在のことです。
もし、ラプラスの悪魔が存在すると、すべての物理現象を把握できるため、未来を含むすべての宇宙の状態を把握することができます。
すべての宇宙の状態が把握できるということは、未来も確定的に一意に決定されるため、未来も含めて宇宙は確定的であることも言えます。
しかし、その後の実験で、すべての物質の位置や運動状態を知ることができても、ミクロな世界での物質の位置は確率的であり、確定することはできないことがわかり、「ラプラスの悪魔」は存在しえないことがわかりました。
確率的な例として取り上げられるのが、放射性元素の崩壊現象(放射性崩壊)です。
放射性元素が存在していると、放射線元素からα線(陽子2個、中性子2個からなる粒子)が放出され、放射性元素の原子が変化します。(放出したα線の粒子の分減ります。)
この現象は放射性元素で発生しますが、発生タイミングは確率的であり、ある特定の一つの原子を観察したときにいつ崩壊するかはわかりません。原子を大量に集めて崩壊を観察して平均をとることで、半分になる期間を求めることができます。(この原子が崩壊して半分になる時間が半減期になります。)
また、この崩壊現象は外部の環境の状況によらないこともわかっており、周囲の温度や熱、電磁場や化学反応にも影響されないことがわかっています。
すべての物質の状態や運動量を把握できたとしても、原子核の崩壊がいつ起きるのかを確定させることはできないということになります。
原子核の崩壊がいつ起きるのかは確定できないことがわかりました。ミクロな世界の出来事がいつ起きるかわからないということは、
超新星爆発や星の誕生など、マクロな世界での出来事も、おおよそのタイミングはわかるかもしれませんが、発生時刻を明確に確定することはできないと言えるかもしれません。
こうしたイベントが宇宙の各所で積み重なる状況であれば、未来は確定させることができない、未来は確定していない。と考えてもよいのかもしれません。
シュレディンガーの猫の思考実験を例にして考えてみます。
部屋に猫を閉じ込め、放射性崩壊をする元素を1つ配置します。1時間で50%の確率で崩壊する元素であることがわかっています。放射性崩壊するとα線が放出されますので、α線の検出器を置き、α線が検出できたら部屋に毒ガスを注入します。毒ガスが注入されると猫は死んでしまいます。
シュレディンガーの猫の思考実験では、放射性崩壊するかどうかは確率50%のため、1時間後に部屋に入って猫の状態を確認するまでは、猫は生きた状態と死んだ状態が重なっているというものです。
生きている状態と死んだ状態が重なり合っているという状態は直感的にはあり得ないと考えられます。
猫が生きている状態と死んでいる状態が重なり合っているとしたとき、次のような解釈があります。
または、
という考えもあります。
今回は箱を開けるまでの状態や解釈については考えず、1時間後に猫が生きているか、死んでいるかをラプラスの悪魔のような存在が確実に予測できるかどうかを考えます。
先ほども紹介したように原子核の放射性崩壊は外部の環境に依存せず、確率で発生します。そのため、ラプラスの悪魔のような存在がいたとしても、原子核が崩壊するかどうかは確定できないため、この猫の運命もわからないことになります。
つまり、原子核の放射性崩壊のようなミクロな世界の確率で起きるイベントがマクロな世界の猫の運命を決めることができると言え、
未来は確率で決まり、確定した未来を示すことはできないと言えます。
放射性崩壊は確率のみで決まりますが、マクロな世界は確率では決まらないという考えです。
この場合、確率的に発生するイベントがどのタイミングで確定的になるかを示す必要があるかと思われますが、なかなか難しそうです。
ここまでで、ミクロな世界の確率で発生するイベントがマクロな世界の未来に影響を与えることができ、
未来は一意に確定できないようだ、ということが言えそうです。
次に、人間を考えます。一人の人がいて、今晩何を食べようか考えています。
パスタにしようか、ステーキにしようか迷っています。この時、ラプラスの悪魔的な存在 ― 物質の位置や物理法則をすべて知っている存在 ― がいた場合、
この人の夕飯を明確に確定させることができるでしょうか? (パスタ、ステーキ以外の選択肢はないものとします。)
ラプラスの悪魔的な存在は、脳を構成する細胞や神経構造、神経を流れる電流をすべて把握できる存在ですので、この人が何を考えているかはすべて
計算により把握できています。よって、今は迷っていますが、今晩、最終的に何を食べるかは確実にに予測することができます。
一見問題なさそうですが、外部からの情報入力により判断が変わってしまうケースが考えられます。
例えば、ステーキを食べる予測が出いていたとして、先ほどのシュレディンガーの猫の実験をしていて、猫が死んでしまったのを見て、肉が食べたくなくなってしまう可能性が考えられます。猫が生きるか死ぬかはラプラスの悪魔的な存在でも確定できないようだ、という議論の流れでは、
この人がパスタを食べるかステーキを食べるかは確定できないことになります。
(猫が死ぬと肉が食べたくなくなるという行動はラプラスの悪魔的存在が知っていたとしても、どちらになるかは確定できない。ということです。)
先の例では、情報入力が予測できないため夕飯は確定させることができなさそうだという話でしたが、そのようなケースがない場合はどうでしょうか?
もし一日中ごろごろしている、あるいは真っ暗な部屋でじっとしていた場合は夕食を確定させることができるでしょうか?
この場合、脳が量子的な何かを持つかどうかで答えが違ってくるのではないかと思われます。脳に量子的な要素が何もなければ、物質の位置や法則をすべて理解できていれば脳の動作も計算でき、夕食に何を食べるかが確実に予測できるかと思われます。
一方で、脳に量子的な要素があるとすると、量子の状態により、30%の確率でステーキを食べる決定になり、70%の確率でパスタを食べる決定になるという動作が脳で行われているのであれば、ラプラスの悪魔的な存在であっても、先のシュレディンガーの猫と同様に、この人が何を食べるのかは確実には予測できないことになります。
脳に量子的なものがあるのか、無いのかは別にして、いずれの場合でも100%確実に夕食を予測することはできないように思われます。逆に、かなりの精度で予測することはできるとも言えます。
先ほど紹介した人ですが、今晩の夕食が決まりパスタを食べることにしました。
この時、パスタを食べる(食べたい)という意思によって、決定がなされたと言えるでしょうか?
ラプラスの悪魔的な存在により脳の物理的な動作を把握されたうえでの予測であれば、どのような決定となるかは計算により予測可能なため、
そこには本人の意思が入り込む余地はないと言えます。
もし、先ほど紹介したような、予測不可能なイベントが発生したとしても、そのイベントによって夕食の選択がどのようになるのかを
瞬時に計算できたとすれば、3時間前に夕食の選択を予測することは100%ではないかもしれませんが、30分前に予測するのであれば、より高い確度で
予測することができます。いずれにしても、予測可能であり、本人の意思が入り込む余地はないと言えます。
量子の状態により、30%の確率でステーキを食べる決定になり、70%の確率でパスタを食べる決定になるという動作が脳で行われているとした場合、
確実な予測はできないです。しかし、この決定は外部の状態に左右されない確率の問題であり、ここにも本人の意思が入り込む余地は無いと考えられます。
(パスタが食べたくてパスタを選択したのではなく、70%の確率として選択されただけである。)
どちらのケースであったとしても、脳の物理法則による決定が先で、決定後に本人の意思が後追いで「パスタが食べたい」と思い込んでいる可能性が
高そうです。実際に脳神経の測定実験の一つとして、被験者に手首を任意のタイミングで曲げてもらう実験をした際に、曲げるという脳の決定(潜在意識での決定)から遅れて意識で曲げるという決定があるという実験結果も出ています。
こうしたことから、物理現象からの観点では「自由意志」はないと考えるのが妥当との結論になります。
これまでの話の流れから、自由意志は無さそうだという可能性が高くなっています。
もし、自由意志が無く、すべては決定に対する後付けだとすると、意志の力で何かを成すという行動はすべて幻想であると言えます。
頑張る、努力する、苦労を我慢する。などの行動も意志の力ではなく、現状の労力とそれに見合うリターンを秤にかけた結果、機械的に導き出された結果に沿って行動しているといえます。
悪く言えば、意志の力などというものはないので、頑張るだけ無駄。とも言えます。物理法則、脳の物理的動作、あるいは量子的な確率(脳に量子的な要素があるのであれば)に従って、あるがままにしか行動できない。と言えます。
この考えの極論では、自分の行動は自分の意志ではないため、行動の結果の責任もないという論理になります。
とはいえ、行きたいところに行ったり、食べたいものを食べたりと、人は自由意志の下で行動や選択、決定をしているように思えます。
直感的あるいは感覚的には自由意志はありそうな気もします。
自由意志があるかという問題については、この2つの問いに対する結果で立場が決まると言われています。
決定論というのは、これまで紹介してきたように「ラプラスの悪魔」が存在したら、未来は確定できるか。という命題です。また、未来が確定できるということは、その未来に至るまでの人の行動も確定されており、その行動に善悪といったものは存在しない。ということも間接的に言えてしまいます。
道徳的にその時代では悪い行いであったとしても、宇宙が決定論的である以上、その悪い行いを回避する手立ては皆無であるということになります。
しかし、決定論が真であったとしても自由意志の否定ではないという立場もあります。
ここまでの話の中で、ミクロな世界では確率的な要素があるため、ラプラスの悪魔は存在しえないということが言えています。また、確率的な要素が未来を決めうることも示されているため、未来を確定することもできないと言えそうです。
こうしたことから、「決定論は真か」という問いに関しては「偽である」と言えそうです。
自由意志については、物理科学的な立場で話を進めた場合「無い」という結論になる可能性が高いです。一方で直感としては自由意志は「ありそうだ」という気がします。
決定論は真である | 決定論は偽である | |
---|---|---|
自由意志はある | (自然科学的な議論ではなさそう) | 直感的にはこれでは? |
自由意志はない | (自然科学的な議論ではなさそう) | 自然科学的な議論では有力 |
決定論と自由意志のありなしの組み合わせは上記の表のようになります。
それぞれどのような世界になるか見ていきたいと思います」。
この宇宙では、すべてが物理法則に則り、あらかじめ定められたシナリオ通りに進みます。
いつ、どこで新しい星が誕生するか、どんな生物が誕生するか、すべてが確定されています。
また、自由意志もないため、自由意志と感じているのはあくまで幻想です。
上映されている映画を見て楽しんでいる状況と考えるとよいでしょう。
この宇宙では、すべてが物理法則に則り、あらかじめ定められたシナリオ通りに進みます。
いつ、どこで新しい星が誕生するか、どんな生物が誕生するか、すべてが確定されています。
自由意志はあるため、自由に行動することができます。しかし、決定論が真であるため、すべての行いは因果律に支配されており、
この宇宙の運命に逆らう行為をすると反作用により元の状態に戻される。あるいは、決定されたシナリオから
逸脱することができない宇宙です。
(SF小説などで、過去にタイムトラベルをして運命を変えようとするが、結局変えられないというストーリーに似ています。)
この宇宙では、ミクロな世界では存在位置や現象の発生などが確率的に発生します。ミクロな世界の出来事がマクロな世界にも影響を与えるため、
未来を確定することはできません。確率的な要素はあるものの、宇宙は物理法則に従って動作します。
生物も物理法則に従って行動しているため自由意志があるように感じられたとしてもそれは幻想であって、
脳内の物理法則や化学反応に従って行動しています。自由意志は後付けの錯覚のようなものです。
この宇宙では、ミクロな世界では存在位置や現象の発生などが確率的に発生します。ミクロな世界の出来事がマクロな世界にも影響を与えるため、
未来を確定することはできません。確率的な要素はある者の、宇宙は物理法則に従って動作します。
生物は物理法則にしたがって行動していますが、自由意志があり、意志の力で未来を変えることができるかもしれません。
4つの宇宙がありますが、1,2は自然科学的な議論ではなさそうなこと、3の場合は自由意志が無いので、映画を見ているのと同じで、意志により何も影響を与えることはできないという、身もふたもない話になってしまいます
(自由意志が無いから不幸なのか?という問題はとりあえず置いておきます。)ので、
今回は「4」の宇宙であった場合を考えてみます。しかし、3の宇宙である可能性も十分にあると考えられます。
4の「決定論は偽であり、自由意志がある宇宙」としたときの矛盾として、以下のどちらかが否定される必要があると言われています。
もしくは、
の可能性もあります。
直感的に考えると意思は脳の働きと考えてよさそうです。脳にダメージを受けてしまえば意識がなくなる、あるいは貧血になり脳に血液(酸素)が供給されなくなれば意識を失うという現象からも実感があります。
この考えに基づくと、例えば脳はアンテナの役割のみであり、意志は脳の外側にあるという説も考えられます。ただし現状の科学では、脳と外部が通信している痕跡などは見つからないため、有力とは言えない説です。しかし、現在の宇宙がすべて仮想であるならばこの説も現実味があります。
「水槽の脳」の思考実験なども例として挙げられます。
映画マトリックスのような世界(ログインしてアバターを利用している状況)をイメージするとよいかもしれません。世界の中を歩き回るのはアバターのキャラクターですが、実際に意思を持って操作しているのは世界の外側からログインしている利用者がいるイメージです。
この世界の外側の意思が指示を出すことで脳の深層意識が動き出すというような仮説が考えられます。
こちらは、否定するのは難しいかと思われます。生物の脳だけが物理法則に従わないということは考えにくいです。
この考えに基づくと、意志の力によって影響される物理法則があるという考えになります。2つの仮説を紹介します。
箱の中に電子が一つ入っている例を考えます。
箱の中が見えない状態で箱の中央に仕切りを入れます。このとき、電子が左にあるか、右にあるかを明確には確定できないことがわかっています。
右にある確率が50%、左にある確率が50%と存在確率でしか表せません。
箱を開けて電子がどちらにあるか観測すると、電子の位置が確定できます。
一般的な環境の場合、左にあるか右にあるかはそれぞれ50%であると言えます。しかし、特殊な環境 -たとえば脳内の細胞など- では
外部の環境などによりこの確率が変わることがあるという仮定を置きます。
例えば先の夕食の決定を例にすると、左に電子があればパスタ、右に電子があればステーキを食べる決定になるとします。自由意志により確率の変動に偏りが発生することになります。
強い意志を持って、ステーキを食べたいと決意すると、右に電子が配置される確率がより高まることになるという話です。
こちらは、先ほど紹介したシュレディンガーの猫の実験で
の「猫が生きている世界と死んでいる世界の2つの世界に分岐する。」(エヴェレットの多世界解釈)を前提とした仮説になります。
先ほどの夕食の例で、パスタにしようか、ステーキにしようか迷っている状況があったとします。この状態のとき、
パスタを食べる世界とステーキを食べる世界に分岐すると考えます。
物理法則にしたがうとパスタを食べる世界が選択される確率とステーキを食べる世界が選択される確率がありますが、自由意志を持つ自己は1つしかないため、最終的にはどちらかの世界を観測することになります。(自分の体験としてはどちらかを食べることになる)。
この時にどちらの世界を選択するかは、確率の問題ではなく自由意志によるものであるという考えです。
ステーキを食べる確率が10%しかなかったとしても、自由意志で「ステーキが食べたい」という意思があれば、10%のステーキを食べる世界が選択されるということになります。
まだ、この宇宙はわからないことだらけです。